story.8_岡山へ引っ越したその年の12月にパン屋をオープン。

岡山へ引っ越したその年の12月にパン屋をオープン。
なんとかお店も軌道に乗ってきた頃4人目を妊娠。
これが最後の出産であろうし、念願の自宅出産を希望。
家族皆が快く受け入れてくれた。
自宅出産をすると言うとどこの病院も検診を拒否、結局検診すらなしで望んだ出産。
自分で出来る限り健康に気をつける他ないので、とにかくヨガに励み、食に気をつけ、より自分の身体に敏感に。
実は私が子どもの頃、自分の母が赤ん坊をとりあげていたのをよく見ていた。コミューンだったので、出産する時は母が助産師の役目をしていたのだ(私の母は助産師だと思い込んでいましたが、実際は資格も持っていないし、本で学んだだけ、皆んな無事産まれてきてて良かった!)
そんなわけでうちも竜二が必死で赤ちゃんをとりあげる本を読んだ。シミレーションバッチリ!準備もバッチリ!
予定日は2月14日だから(自分で予想)2月に入ったらパン屋を休みますの告知もしっかり出して…
しかし、お休みに入る2日前の朝、1月29日に破水。
とりあえず破水したものの陣痛がこないのでその日はパン屋で接客(あ、これはさすがにダメですね)
夜になっても陣痛が全くこない。普通ならば病院で促進剤を打って無理やり産ませるのだろうけどここは病院ではない、2人目の時のように促進剤なんて打つ必要ない。
2人目の時に破水して24時間が経過するので促進剤を打つ決まりがあると言われ、何その決まりー?!と拒むことも出来ずに促進剤を打ったが、あまりに急激な痛みがきて、気絶しそうになったのが忘れられない。1人目の時とは全然違う痛み、失神する寸前、冷や汗が止まらなかった。あんな経験は二度としたくないという気持ちもあって自宅出産を望んだ。
もちろん赤ん坊が無事産まれてくることが何より優先だけど、促進剤で母親が亡くなったケースも、子どもが障害や病気を持って産まれたケースも実際ある。
真夜中に陣痛がやっときた、とりあえずホッとする。竜二と海音と照葉が寝ずに必死で私の背中や腰をさすってくれる、3歳の燕陽は気持ちよさそうにクークー隣で寝ている。
陣痛が一旦治った頃、竜二がまだ産まれそうにないよね?ちょっとそろそろパンの発酵がきてるから一度パン屋に戻ってパン焼いてくる、またすぐ戻るから!と車で5分ほどのお店へと向かった。
ところが竜二が行ってる間に陣痛が激しくなり、間に合わない!と判断した私は「海音!赤ちゃんとりあげて!」ととっさに海音(長女)に頼んだ「はい!」と膝まずく私の足の間から赤ちゃんを見事キャッチ!中学生のキャシャな手のひらにつるんと赤ん坊が!
貴重な胎盤はその後皆んなで食べる用に保存。
よし、これでとりあえず一安心。
一番勉強した竜二が電話の向こうで赤ん坊の産声を聞くことになるとは…
出産届けの医師名の所には、まさかの海音のサインが。
結局1月30日の早朝に産まれ、寝ないまま娘2人は学校へ普通に登校。
竜二は1人でパン屋の忙しい出産休み前の最終日を迎えた。