story.7_2011年3月11日大地震が東日本を襲った。

2011年3月11日大地震が東日本を襲った。埼玉県に住む私達は震度5弱程の揺れで物が落ちてくる程度ですんだ、しかし問題は地震だけではなかった、地震と津波によって福島原発が危険な状態となり、放射能が漏れ出した。
放射能の汚染から2人の子どもと、お腹の子を守らなきゃ!という気持ちで避難移住を決意し埼玉を後に西日本へと向かった。
大阪の友人に受け入れてもらい一泊休んだのち北九州の友人宅へ。
機織りを営むご夫婦が2週間もの間お世話してくれた。
4月から6年生になる海音と、1年生になる照葉、卒園式に出れないまま北九州の学校へ通いだした。
1年間北九州で過ごしたのち岡山へと移住。北九州は黄砂がすごく、アレルギー持ちの竜二の身体がキツかった事と、岡山には私の祖父がいたこと、姉が先に岡山に住み出したこと、姉のツテで家を貸してくれるという方がいたこと、もろもろ含め岡山移住が決まった。
しかし家を貸してくれると言ってくれたものの、条件として大掃除!電気を全部磨くところから床のワックス掛けまで!約1週間かけてようやく綺麗になったと思ったら、あなた達は信用できないと言って運んだ荷物ごと追い出されてしまった。ちなみに姉にまで「あなたの妹さん夫婦は危険な人達だから騙されちゃダメよ」と言ってきたらしく、その人との繋がりはそこまでとなった。結局理由もわからないまま詐欺師扱いで終わってしまった。
次の家主が家を貸してくれると声を掛けてくれたが、そこも荷物を運んだと思ったら今度は保証人が岡山にいないから貸せないと言い出した、ちなみに祖父は年金者だからダメだと。。
6ヶ月の赤ん坊を抱きながら数日間で三度も引っ越しをすることに。
荷物を運ぶ中、おんぶした背中で泣きじゃくる燕陽の声がより悲劇さを物語っていた。奄美の共同生活で育った私は人類皆兄弟くらいの気持ちでいたけど、この時ばかりは人間不信に陥りそうだった。
私達はそんなに怪しかったのでしょうか(笑)あの時は泣いてしまいそうだったけど、今では笑える話。
結局新たに家を貸してくれる人が見つかり、そこから岡山での生活がやっとスタートした。